EXOのLAYへ

8年(8年!?)ぶりのれいさんに会ったので自語り送辞ブログです。

いつかられいさん好きだったのかなぁ。ぼぷで知り合ったオタ友が全員EXOペンになって、その流れで2012年の夏頃からでしょうか。

最初にれいさんに会ったのはおそらく2012年8月のSMTOWN in ソウルですね。
こないだのSMTで総振り返りVCRみたいなのやってたけどどう考えても行ってない公演の方が少なくてしにました。こいつずっとSMTの話してるよ。
さらにれいさんと認知していないのを含めると、れいさんが怪我してたジョンの代役をやったシャイニコンを見に行っています。なっつ〜〜〜〜あったねそんなこと〜〜!!!

SMTOWN WEEK、ハロージャパン、ロスプラ、リューション、そして最後にれいさんに会ったのは2016年12月の京セラ EXO’rDIUMでした。これがおそらくEXOとして9人でステージに立った最後ですね。

まぁこの3年の間にも、서공예の卒業式に行ったり、ボーイフレンドのサイン会に行ったり、TEENTOPを見に台湾に行ったり、オプテの公開ペンミで友だちに頼まれてビデオ回したり、セブチのサノクに行ったりしました。
れいさんがいないがちで暇だったからできたことです。

禁韓令もあり2017年以降はアルバムへの参加のみになり、「いないの?」ではなく「いるの?!!」と叫んだり、なんならイベントの公示に「いないけどごめんねって書いてある…(感動)」となったりしていました。
そして公にメンバーと並んだ姿はどーさまの入隊を見送りにきた2019年7月が最後かと思います。


最後が入隊見送りて。そんなことある?私が忘れてる場合は誰か教えてください。
でも最後が仕事じゃなくてメンバーの見送りっていうのも、それはそれで特別だなぁと思った。

そして円満に(???)2022年4月にSMとの契約が終了します。SMとちゃんと契約終了した中国人・・・すごいぜ・・・。

れいさんはEXOでいてくれた期間のおよそ半分は実態として居なかったけど、それでも名前だけでもEXOでいてくれることが、どれだけ意味があって暖かいことだったかと今でも思います。いや居なかった当時は「辞めてなくてもいなきゃ意味ねーんだよ💢」てキレてましたけど。当たり前だろ。

正解はない世界だけど、それでも「そんな…」じゃなくて「そっか…」って思える時までEXOでいてくれた。EXOもれいさんもオタクも、お互いの手を離せる時まで待ってくれたようだった。
もちろん泣いたファンもいただろうけど、その数はずっと少なかったはず。

れいさんSMは辞めたけど、別にEXOじゃないよとは言ってないしね。一番に첫눈チャレンジしてくれるし。EXOの投稿にOT9!!ってコメント付いてるの見るとあたたかな気持ちになります。・・・ウッ・・・9・・・?!(お家芸
スジュやソシを見て、現実的にも未来はあると思いたい。

本人がやりたい事やるのが一番なのは当然だけど、私はやっぱりステージに立って輝いてくれることが一番ありがたくて幸せだなと思う。本人の努力や、オタクの数や、運だけでどうこうできることではなくて、でもその全てに祈りを込めて今日も光を見ている。
日の目を見ることも難しい世界で、長く続けてくれて、日本まで来てくれてありがとう。

あとこれはド偏見感動なんだけど、れいさんのあの『俺未満の人間は努力が足りない』みたいなところが削られていて、なんかしみじみとしました。私はあの人のそういう不遜さみたいなところも愛していたなと思い出した。長く見てるとこういうこともある。
ファンからの手紙だけは必ず受け取るところ、それを読んでる姿を見せてくれるところ、強さと柔らかさが共存するところは変わってなかったね。
それを踏まえた上で、周りにダンサー従えて「俺が世界の中心」って踊るれいさんは今見てもかっこ良すぎて神様でした。ごちゃごちゃ言うとるが2024年になっても顔が好きすぎて泣いています。

外国のコンサートのチケッティング、配布物戦争で習得した韓国語、邪魔なオタクのボードを殴る、マスターや取りまとめが写真集の集金後に体調を崩して飛ぶ、オリンピック競技場の前の道にチキンペダルしてもらう、「出演者は変更になる恐れがあります」で本当に変更になって推しがいない、メンバーが減る(減るな)、世界のどの現場にもフォロワーがいる、今となっては特別珍しいことはないけど、当時を思うと全部全部思い出です。
『誰もがエリだった時代』にエリだった経験は、この先誰を好きになってもできない、楽しい時間でした。
思い出は今でも、これから先もあなたの名前の形をしている。

元気で、またみんなで会えるといいね。